ワーママ。

フルタイムワーママとして張り切っていた私。核家族が仕事家事育児を回しながら、笑って過ごすにはかなりの努力を要すると悟る。世の中の共働き家庭が、少しでも笑顔でゆっくり休める時間をつくりたい。

ダメ母という自己暗示を解く

ワーママ生活は、「母親が働くということは当たり前だし、保育園に幼い頃から子供を通わせることは可哀想ではない」という価値観を信じなければやっていけない。しかし、自分の母親が専業主婦で私の教育に心血を注ぐという昭和的な家で育った私の価値観はブレブレで、(自分でもこんな自分がとても嫌なのだが、)「自分は母親業よりも仕事を選ぶ、"母"になりきれない女」という意識が心の片隅にもないといえば嘘になる。今でこそ、我が息子はるぽん(仮)がおしゃべりを沢山するようになり、保育園での楽しかった出来事を毎日話してくれるので、保育園に入れて良かったんだなと思っているが、はるぽんが10ヶ月頃で保育園に入れた時には、「今の時代、母親が働かない方がリスクなんだから!」なんて理論武装しながらも、自分の中では「あるべき母親像」を全うしていない自分への罪悪感が結構すごかった。

それがゆえに、周りの言葉に過剰反応してしまうことも多かったような気がする。例えば、はるぽんの通う保育園の入園説明の際に、「お昼寝用の布団カバーを持って来てください」と言われた時。「これって市販のものでもいいですか?うち、ミシンもないし、私裁縫できないんですが・・・」と私が尋ね、園長先生は「そうなんですね(笑)本当は、お家で用意する方が多いですけど、市販のでもまあ大丈夫ですよ(笑)」というような返答をした。この時、園長先生は「絶対に母親の手作りで持ってこい」なんて全く言っていなかったのに、私と来たら、うっかり想像力が暴走し、「やっぱり母親が裁縫をして全て準備することが当たり前って思ってるだなんて…!!(そして私は一般的な母親のやるべきことができない人間なんだ)」なんていう風に解釈していた。結局私は、「入園当初からダメな母親だと思われたくない」と勝手にイキがって、生地を買いに行き、近所の裁縫上手なお友達に手伝ってもらい(というかほぼ全てやってもらった…)「手作りの」布団カバーを完成させた。でも、はっきり言って、入園後分かったのは、誰もカバーが手作りかどうかなんて気にしちゃいないし、きちっと美しいカバーの子もいれば、かなり適当な(失礼)布団カバーを持って来ている子もいれば、兄や姉のカバーの使い回し(名前を二重線で消して下の子の名前に書き換えてある)を使ってる子もいる。完全に杞憂だ。

そもそも、自分の価値観を信じ、自信を持ってやっていれば、「人が自分を責めている」ように被害妄想することはないし、仮に本当に何かで責められたとしても、「あぁそういう考え方の人も居るんだな」程度で終了だ。でも、自信が持てていないと、ちょっと気になることを言われた時点で過剰反応してしまう。そしてそれによって罪悪感が増幅されるという悪循環にはまり込む。渦中にいたその当時は気づかなかったが、自分で自分を苦しめているという場合も往々にしてあると思う。まずは、自分が自分にかけている呪縛を解くことからはじめないと、幸せなワーママ生活は訪れないように思う。