ワーママ。

フルタイムワーママとして張り切っていた私。核家族が仕事家事育児を回しながら、笑って過ごすにはかなりの努力を要すると悟る。世の中の共働き家庭が、少しでも笑顔でゆっくり休める時間をつくりたい。

ちょっと支えてくれる人の存在

今日は子どもに久々に本気で腹が立った。栄養を考えて作ってある晩ご飯の内容が気に食わなかったらしく、一瞥を加えた後、ぎゃーーーー!という甲高い鳴き声で泣き、食べるのをひたすら拒否し続け、机をバンバンたたき、食べさせようとするスプーンを全力で払い落としてくる。そして床に散らばるおかず。

こちらは忙しい間をぬって栄養バランスを考えた食事を用意する。それが拒否されアンパンマンビスケットだかなんだか知らないが手間も暇もかかってないお菓子が選ばれる切なさ。そして仕事後の疲れた体にダイレクトヒットするわざとらしい悲鳴。本気でスプーンを投げつけそうになるのを全力で堪えた(偉い)が、このバトルの時に大人がもう一人同じ空間にいてくれるだけで気分は全然違うと思う。私一人だと、どうしても孤独だし、誰も分かってくれない感に苛まれてしまうのだ。

そうこう考えていて、新生児〜5ヶ月くらいの時期の辛さを思い出した。うちの子どもは本当に一筋縄にスヤスヤとはいかず、散歩に出ている時間以外は何らかの理由で極端に泣き続けるタイプの子どもだった。そのため雨でも傘をさして1日に3時間以上は散歩をしていた有様だ。家では日中、起きている時間の7割くらいはヒステリックに泣いている状況だったので、育休中だった私は半ば育児の壮絶さにノイローゼだった。でも私は当時集合住宅に住んでいて、そこには子どものいるママ友が何人かいたので、しょっちゅう家を行き来し、精神的にもかなり支えてもらって何とか母子ともに心身健康で今に至っている。でもそのような繋がりなく、夫の帰りも遅いという人が、うちの子どものようなキャラクターの子どもを育てたらと思うと、、末おそろしい。恐らく虐待してしまうと思う。

私はラッキーにも支えてくれる周りに恵まれたので助かったが、その拠り所がない人は多い。子育てにおいて、身近に気軽に頼れる人がいるということの重要性を身をもって感じている。